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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和30年(ネ)125号 判決

被告人(附帯被控訴人) 国

訴訟代理人 栗本義之助 外四名

被控訴人(附帯控訴人) 田中勘三郎

主文

原判決中控訴人に関する部分を左の通り変更する。

控訴人は被控訴人に対し金五万円及之に対する昭和二十八年四月十八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

被控訴人の其余の請求並附帯控訴は之を棄却する。

訴訟費用中附帯控訴の分を除く其余は第一、二審を通し之を二分しその一宛を控訴人及被控訴人の負担とし附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は原判決中控訴人敗訴の部分を取消す被控訴人の請求を棄却する訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決並附帯控訴棄却の判決を求め被控訴代理人は控訴棄却の判決並附帯控訴につき原判決中控訴人に対する被控訴人の請求棄却の部分を取消す控訴人は被控訴人に対し金二十二万円及之に対する昭和二十八年四月十八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし訴訟費用は第一、二審共控訴人の負担とするとの判決及担保を条件とする仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は左記陳述の外は何れも原判決事実摘示と同一であるから茲に之を引用する。

被控訴代理人は被控訴人が本件暴行陵虐傷害、不法逮捕を受けたのに因る慰藉料並名誉信用を毀損されたのに因る損害は最低金三十万円を以て相当と思われる、然るに僅かに金八万円を相当と認定した原判決は失当であると述べた。

〈証拠省略〉

理由

控訴人は国家警察を維持するもの訴外中野栄は国家地方警察福井県三国地区警察署砂子坂巡査部長派出所に勤務する巡査部長であり、訴外西沢静は同警察署大安寺村巡査派出所に勤務する巡査であつてともに被控訴人の肩書住居地を管轄区域とし、昭和二十七年六月当時それぞれその警察職員としての職務に従事していたこと、被控訴人は元小学校校長をしておりその後教職を離れて農業に従事し、昭和二十七年六月頃六十七才であつたことは当事者間に争がない、而して成立に争のない甲第二号証の一、同第二号証の三乃至八、同第四号証の二、同第五号証の一乃至五、同第六号証の一、二、四、五、同第七号証の一、二、三、六、七、同第九号証の二乃至五、同第一〇号証の二、同第一一号証、同第一六号証の二、同第一八号証、丙第一号証の一乃至六、同第三号証の一、二、同第四号証の一、二、同第八号証、同第九号証の一、二、原審証人千葉清の証言により真正に成立したと認める甲第二号証の一〇、当審証人富樫澄子の証言により真正に成立したと認める甲第二号証の一一、原審における原告本人訊問の結果に依り真正に成立したと認める甲第一四号証同第一五号証の四、原審証人田中清俊の証言により真正に成立したと認める甲第一九号証原審証人垣内宏、同田中清俊、同片川繁、同吉川平俊、同末松隆、同吉岡義雄、同片川正、同田中タケノ、同田中麗子、同片川政雄、同千葉清、同堂前次義、同下本久一、当審証人富樫澄子の各証言、原審に於ける原告同相被告中野栄同西沢静の各本人訊問の結果並検証の結果を綜合すると、原判決がその理由に於て認定した事実(原審判決書一三枚目裏末行から同一七枚目表八行まで)と同一の事実が認定せられるから之を引用する。

即ち訴外中野栄と西沢静は訴外垣内宏の告訴にかゝる麦の窃盗被疑事件に関する捜査に当り被疑者である被控訴人を大安寺村島山梨子地籍河原四字四番地の田の前の農道から被控訴人方に同行する間被控訴人方及被控訴人方から砂子坂巡査部長派出所に連行するため島山梨子部落を通行する間に於て右中野は被控訴人に対し前判示の如き侮辱的言動を加え、中野、西沢両名は右農道上及被控訴人方に於て暴行を加え又被控訴人方に於ける暴行により判示の様な傷害を与え被控訴人方で同人を逮捕して右派出所まで連行して被控訴人の自由を拘束し、被控訴人方から右派出所に連行する間前記の如く引かれてゆく、哀な老人の姿が被控訴人であることが一見して判る様にして引立て通行人数名をして目撃させるに至つたことが認められる、右認定に反する甲第四号証の一、二、三、甲第七号証の四、丙第二号証、丙第三号証の一、二、丙第四号証の一、二、丙第九号証の一、二、の各記載原審証人垣内宏の証言、原審に於ける原告、相被告中野栄同西沢静の各本人訊問の結果は前掲の各証拠に照し措信し難く丙第十一号証の記載原審証人川内淑、同南武之亟、の各証言も右認定を左右するに足りない他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

而して刑事事件の捜査に当り警察職員は強制力を用うる場合に於ても被疑者の身体自由名誉を出来る限り尊重し不当に之を害してはならないし抵抗を受け已むを得ず実力を行使する際も之を排除するため必要な最少限度を超えてはならないことは憲法第十八条第三十三条第三十六条警察法前文、第一条刑法第三十六条第二項第百九十四条第百九十五条、刑事訴訟法第百九十六条等の規定の趣旨に徴し極めて明かであつて、まして任意捜査の場合に於ては尚更のことである、本件に於て訴外中野、西沢の両名が被控訴人の被疑事件を任意捜査するに当り被控訴人に於て多少不遜な反駁的態度に出て右訴外人等の感情を害するものがあつたことは本件弁論の全趣旨から窺知し得られるけれども別に実力による反抗を為したものでないことは前段認定の通りであるからかゝる場合司法警察職員たるものは感情に走ることなく沈着冷静之に当るべきで、いやしくも捜査の目的達成のためとしても被疑者に暴行を加えたり羞恥汚辱の感を与える様な言動に出ることは厳に慎しむべきであるに拘らず右訴外人両名が被控訴人に対し前記認定の様に侮辱的言辞を浴せたり暴行を加えたりしたことの違法であることは多言を要しない。

次に右訴外人両名の被控訴人に対する逮捕行為の当否につき案ずるに前掲認定にかゝる事実及被控訴本人訊問の結果に依れば被控訴人が前記牧浜の田約一反歩から垣内宏播種の麦七束を刈取つたのはその前年(昭和二十六年)九月頃右垣内から右田地を同年秋水稲刈取後は被控訴人に於て耕作してもよいと云う条件で譲受けたものと考えていたところ同年秋右垣内に於て右田地に麦を播いたので同人の所為は約に反するものであるとして同年十月頃垣内に対し此点を詰問したところ同人は悪かつたから右麦は来年度被控訴人の方で収穫して呉れと申出た、翌昭和二十七年五月麦の刈入時期に近づいた頃被控訴人は更に念のため垣内に対し葉書を以て麦の刈取について相談したいから来て欲しい、もし来ないときは被控訴人の方で麦を刈取る旨通知しておいたが垣内は来なかつたので同人は被控訴人の方で麦を刈取ることを承諾したものと考え同年五月下旬右麦七束分を刈取り自宅に持帰り保管しておいた、ところがその翌日頃垣内が被控訴人方に来り右田にあるまだ刈取らない麦を自分の方で刈取らせて呉れと頼んだので被控訴人は之に同意しその代り右田地の所有権移転につき速かに知事の許可申請手続を履践するよう要求したところ右垣内に於ても之を約諾したので被控訴人は前記刈取つた麦七束も垣内に返還する旨申向けたと云うのである、若し被控訴人の右云分が真実であるとすれば前記田地の所有権並占有権は知事の許可がないのであるから法律上まだその効力が生じていないとしても法律に素人の被控訴人自身としては右契約丈で完全に所有権や占有権を取得したものと思つたかも知れないそうすれば窃取の犯意があつたとは速断できない、また少くとも麦そのものの処分権は知事の許可と関係がないから之が処分権は被控訴人に移転していたことになり被控訴人が之を刈取つても窃盗罪を構成しないわけであつて被控訴人の右云分は前掲各証拠により認められないこともないのである、従て本件窃盗被疑事件は被控訴人に麦の処分権があるかどうか並窃取の犯意の有無が重要な点であつて之に関し当事者間に民事的紛争が介在するので之が私法上の権利関係を究明しなければ犯罪の成否を断ずることは出来ないのである、右の事実関係を究明しないまゝ単に(イ)右垣内の盗難被害届、(ロ)前記田地の所有権の帰属につき知事の許可がなかつたからその所有権並占有権は垣内にあること、(ハ)右田地の麦は同年度の垣内の供出麦の対象となつていたという事実丈からでは本件犯罪の成否は決定し得ない案件であつたのである、然れば右訴外人両名が本件につき被控訴人に一応の嫌疑を抱き捜査に当つたことは勿論相当であるけれどもその捜査により判明した前記(イ)(ロ)(ハ)の事実丈では被控訴人に嫌疑をかける充分の理由とすることはできないものと謂わなければならない、また右訴外人両名が被控訴人方に行つたのは被控訴人から刈取麦七束の任意提出を求めるためであつて被控訴人が右求めに対し「盗んだ麦はない令状を見せよ」と申向けて犯意を否認すると共に不遜の態度を示したとは云え兎に角目的たる麦の任意提出が為されたのであるからそれで同人方訪問の目的は達せられたのである、更に被控訴人は当時六十七才の老令で元小学校校長の経歴を有し当時農業に従事し(以上の事実は当事者間に争がない)居住部落内一、二の資産家(原審証人正井博道同片川繁の証言に依り認められる)であることから被控訴人は被疑事実を否認していても逃亡したり証拠湮滅の虞はないものと一応認められるのである、而して右訴外人両名は被控訴人の居住地を管轄する派出所に勤務する警察職員であり本件逮捕前本件被疑事件につき被控訴人其他の関係者を取調べ被控訴人の主張弁解も聴取し本件が前記認定のような事実関係にあること、被控訴人の経歴地位財産等につき了知していたものと認められるのである、然るにも拘らず被控訴人が前記麦を任意提出後突如として被控訴人に対し刑事訴訟法第二百十条の所謂緊急逮捕を執行したのであるが右緊急逮捕は同法第百九十九条の所謂通常逮捕の例外規定であつて第二百十条所定の犯罪の嫌疑につき充分の理由があり且急速を要し裁判官の逮捕状を求めることのできない場合その理由を告げて被疑者を逮捕することであつて右規定は憲法第三十三条との関係に於て厳格に解釈すべきが相当である、従て前段認定のような事実関係の下に於ては緊急逮捕を為し得べき事情にあつたとは到底認められない、尚このことは右訴外人両名が被控訴人を砂子坂巡査部長派出所に連行しながら同日午後九時頃特段の事情変更がないのに拘らず本署に引致せずして釈放した事実(此事実は控訴人の自認するところ)に徴しても右訴外人両名自身本件犯行の嫌疑につき十分の確信のなかつたことを物語るものである、依て右逮捕は違法と謂うべきである控訴代理人は右逮捕後直ちに裁判官に逮捕状を求める手続を為し逮捕状が発せられているから本件逮捕は違法でないと主張するけれども逮捕を実施した頭初に於て違法があれば直ちに裁判官の逮捕状が発せられても該違法は治癒するものでないと解するのが相当であるから右主張は採用しない、被控訴代理人は右緊急逮捕は右訴外人両名が逮捕すべからざることを知り乍ら故意に職権を濫用したものであると主張するけれども前記逮捕の経緯並右訴外人の原審に於ける供述よりすれば同人等は前段説示の如き事実関係、法律関係の究明認識に不足する点があり、また刑事訴訟法第二百十条の解釈に誤解があつたため緊急逮捕を為すに至つたものと認むるのが相当である従て職権濫用とは認められないから右主張も採用しない、然しながら刑事事件の捜査に従事する警察職員としてはかゝる事件の捜査に当つては特に注意を払い事実関係法律関係を究明し且前記法条の正当な解釈適用を為すべきは当然であつて之を誤つたことは右訴外人両名が警察職員として当然用うべき注意に欠くるところがあつた結果に外ならないから同人等に過失があつたものと認定する。

進んで被控訴人の蒙つた損害の点につき案ずるに、被控訴人が右訴外人両名の前示暴行により右前膊部に治療五日間を要する切創を、右肩胛関節部に軽度の捻拙症を蒙り精神上肉体上に苦痛を受けたこと、また前示侮辱的言動並見せしめ的連行により被控訴人の自尊心名誉心を傷付けられ精神上の苦痛を蒙つたことは明かである、更に成立に争のない甲第十三号証原審証人田中タケノ、同田中清俊の各証言を綜合すると昭和二十七年七月八日付福井新聞に「二警官が老人に暴行、手錠をかけ泥棒扱い、脱臼裂傷を受け遂に告訴」と云う題下に前記認定の昭和二十七年六月三十日被控訴人が右折外人両名から暴行侮辱を受け窃盗容疑者として逮捕せられた事実、被控訴人が右訴外人両名の行為を特別公務員暴行陵虐罪に該るとして右両名を告訴したこと、及関係者として被控訴人、右訴外人両名並部落会長片川政雄の各談話が掲載されたことが認められる、被控訴代理人は其頃福井放送株式会社の「ラジオ福井」で右新聞記事と同趣旨の放送が為されたと主張するけれども右主張に副う原審証人田中タケノの証言は信を措き難く他に之を認めるに足る証拠がないから右主張は採用しない

右新聞報道により被控訴人の名誉信用が一応毀損されたことは新聞の一般世人に対する宣伝的報道的役割に徴し常識上当然推知せられるところであるが右新聞報道は被控訴人の窃盗容疑による逮捕の事実だけでなく、その逮捕は右訴外人両名の職権濫用並陵虐行為であるとする被控訴人の告訴の事実並被控訴人右訴外人両名の弁解第三者である部落会長の目撃談が各掲載されているから右報道により一般読者の受ける印象から考えると被控訴人の窃盗容疑並逮捕のみの一方的報道の場合に比較し被控訴人の名誉信用毀損の程度は軽いものと謂うことができる、何れにしても之により被控訴人が精神上の苦痛を受けたことは容易に推認せられる。而して今日新聞により刑事被疑事件が報道されることは報道の自由及新聞の社会的使命からして通常容認されるところであるから右報道による被控訴人の受けた精神的損害は右訴外人両名の違法な逮捕により生じたものと認むべきである。

果して然らば右訴外人両名の本件行為は国家賠償法にいう公権力の行使に当る公務員がその職務の執行について過失により違法に他人に損害を加えた場合に該当することが明かであるから控訴人はその損害を賠償すべき義務あるものというべきである、依てその賠償数額につき案ずるに前段認定の通り被控訴人の蒙つた損害は精神上肉体上の苦痛であるから此等の苦痛に対しては慰藉料を支払うべきでその数額については被控訴人の身分、年令、経歴、社会的地位、財産、素行、本件発生の原因、被控訴人の態度、右訴外人両名の為した暴行侮辱逮捕の態容並程度被控訴人の受けた苦痛の程度其他本件にあらわれた一切の事情を参酌考慮し金五万円を以て相当と認める、従て控訴人は被控訴人に対し金五万円及之に対する本件訴状が控訴人に送達された日の翌日であること記録上明かな昭和二十八年四月十八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべき義務がある、被控訴人の請求中爾余の部分は理由がないものとして棄却する、従て控訴人の本件控訴は一部理由があるが被控訴人の本件附帯控訴は全部理由がないから之を棄却することゝし民事訴訟法第三百八十六条第三百八十四条第九十五条第九十六条第八十九条第九十二条を適用し、仮執行の宣言はその必要がないものと認めて之をつけないことゝし主文の通り判決する。

(裁判官 石谷三郎 成智寿朗 岩崎善四郎)

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